自論・考察

ずっと貧しかった「年収1000万円女」の人生[足るを知る者は富む]

こんにちは!

那須の田舎側でのんびり暮らしている文生伊(あおい)です。

突然ですが、「足るを知る者は富む」という諺、ご存じでしょうか?

これは中国の古代の思想家・老子が述べているお言葉なのですが。

あおい

国語の教科書で出てきた気がしますね、孔子などと一緒に

私、「欲張らずにほどほどのところで満足すれば良い」的な理解をしていたのですが、実はそうではなかったんです。

よくよくこのお言葉を理解してみたら、物凄く前向きな意味が込められていて、感銘を受けました…!

今回の記事では、田舎暮らしを始めたからこそ気づけた 「足るを知る者は富む」 の本当の意味と、過去の自分の生き方の反省を綴りたいと思います。

「足るを知る者は富む」はもっと前向きな意味

冒頭でも述べた通り、 「足るを知る者は富む」 は「欲張らずにほどほどで満足すればいい」とか、「身分相応の暮らし」とか「多くを求めすぎるな」的な理解をしている人が多いようです。

あおい

「質素・倹約こそ正義」的な

逆に言うと、「頑張るな」とか「欲張るな」とか、向上心や探求心を否定しているような、ネガティヴな思想にも受け取れます。

でも、違うんです。

物凄く前向きな意味が込められているんです!

「足るを知る者は富む」 の原文

足るを知る者は富む」 というフレーズはいくつかの文章の中の一つなのですが。

強くかかわっている部分だけ抜き出します↓
(原文の漢文から日本語へ書き下されたもの)

~略~
足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。
その所を失わざる者は久し。
死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し。

これを分かりやすく、くだけた現代語に直します。

~略~
満足する事を知っている人が本当に豊かな人で、努力を続ける人はそれだけで既に目的を果たしている。
自分本来のあり方を忘れないのが長続きをするコツ。
死にとらわれず、ありのままの自分を受け入れる事が本当の長生きなのだ。

「足るを知る者は富む」 に込められた前向きな意味

向上心や欲をもって何かを得ようと頑張る事は、むしろ奨励されているんです。

ただし、上ばかりを見て、自分が本当に求めていたものが何のかを見失って、「アレも無いコレも無い」と不満だらけのマインドに陥る事は×。

あおい

そういうマインドの時ほど、「〇〇さんは…」と他人と比べたり、「自分はなんてダメなんだ」と自己否定しまくったり、ネガティヴの底なし沼に嵌るよね

最後には、

老子

そんな精神状態で長く生きたって、生きてるって言わんくない?

と問うている。

つまり老子が言っているのは、

老子

今のあなたのままでも、十分いろんなものを持ってるんだよ。
そこに気づきなされ!

何かを得ようと足掻いている状態だったり、お金持ちじゃない平凡な人生であっても、今の自分が持てる全てに自信をもって、生きている事に感謝ができて、苦労でさえもありがたい経験だと受け入れる。

そうすることで、本当の『富』が得られる!!

それが 「足るを知る者は富む」に込められた前向きな意味なんです。

あおい

まずは今までの自分頑張って手に入れたものを慈しみ感謝しろ!って事ですね

過去の私の犯した間違いと今の自分に伝えたい事

足るを知る者は富む」 は、自分が人生で成し遂げたい事や「得たいもの」が何なのか、改めて自分を見つめ直してみろ!とも言ってくれているように感じます。

無い無い沼どっぷり

私自身の過去を振り返ってみると、自分自身の望みではなく、親からのプレッシャー等から「〇〇しなきゃ」とか「□□でなければならない」的な固定概念に支配されて行ってきた事が、とても多かったように感じます。

その結果、いわゆる偏差値の高い国立大学に進学したし、社会人となってからも優良大企業で年収1000万円レベルまで到達する事が出来たのですが…

悲しい事に、私の心は一度として満ち足りた事はありませんでした。

いつも「△△じゃ無い」とか「××が無い」とか、「無い無い」沼にドハマりしてたんです。

あおい

稼いだお金を湯水のように使ったけど、満足感も得られず、ただただ貧しくなった

常に焦燥感や憤りで胸の中が染まっていて、真っ黒な底なし沼に激情をぶつけてみるものの手ごたえ虚しく、不満というカウンターパンチを食らって…身も心も、ボロボロになってしまいました。

きかっけこそ他人(自分ではない人)ですが、頑張ったのは自分自身なのだから、もっと自分に感謝して、支えてくれた人にも感謝して、得られたもののありがたみをしみじみ感じるべきだったんです。

なのに、その当時自分の全てを否定して、自分を取り巻く全てを否定していた事になるので、物凄く失礼で罰当たりですよね。

あおい

反省…

自分が得たいもの

なので、改めて、自分が「得たいもの」について考えてみました。

やはり、他人に押し付けられた「幸福」の形や、一般論的な「恵まれている」生活では、私にはフィットしない。

どんな優良大企業であっても、嫌な上司と嫌な仕事をして、大金と抱き合わせのストレスが溜まる中100歳まで生きられたとしても、やはり私は満足感を得られる気がしない。

あおい

仕事のせいで体壊して、治療しながら何とか生きながらえるというのもナンだしね

だから、過去の自分のような生き方は、二度としたくない。

また大金の為に自分を殺す生活をするくらいなら、収入が激減したとしても、質素に静かに暮らしたい。

平穏で平凡な生活の方が、自分には合ってるんだと思う。

自分にとっての「富」の形

最終的に、「質素・倹約」的な話になってしまいましたが。

コレはあくまで私の心が満ち足りて豊かさを実感できる暮らし方。

優良企業で安定した収入を得続ける事が、なによりもの精神安定剤となる人だっているでしょう。
社会的地位や物理的な物(豪邸とか高級車とか)が無いと満足できない人というのも沢山いると思う。

そういう人達も、その環境が得られる(キープできる)努力をしている訳だし、その事実に感謝や満足の気持ちを感じながら生きて行けば、その人にとっての「富」にあふれる人生が送れるのではないだろうか。

老子の言った「足るを知る者は富む」 は、

老子

周りの価値観に振り回されてると、あなた自身が満足できる豊かな人生なんて歩めぬぞ

とお尻をたたいてくれているようにも感じますね😊

さぁ、私だけの「富」の形のため、突っ走るぞー!

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